
昨日造ったカップは無理な乾燥の甲斐もあって、削りとハンドル付けが終了。


大ぶりなカップと如何にも使いづらく飲みづらそうなカップ。
何かを意識すると、何かを忘れてしまう様で、不格好さだとか使いづらさだとか
実用ではない部分が抜け落ちてしまうと、結局100均のコーヒーカップの方が気楽で綺麗で実用的な部分に
優っているので、手作りの作品の必要性が???になってしまいます。
でも、やはり人間的な『何か』が抜け落ちてしまって、買ったことさえ忘れる器になるような気がします。
・・・体験教室でいつも感じる新鮮さはきっとここにあるんでしょうね。